木幡山経塚群とは? わかりやすく解説

木幡山経塚群(木幡山蔵王経塚)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 14:41 UTC 版)

木幡山」の記事における「木幡山経塚群(木幡山蔵王経塚)」の解説

木幡山山頂尾根上に東西一直線状に並ぶ6基の経塚出土品から平安時代末期12世紀)に複数回に亘り造営されたものと推定されている。高さは1メートル前後小型積石式で、盗掘のために破損しているものの積石主体である中央部石槨はほぼ原型を保つ。いずれも石槨中に経文を埋納したもので、径は2メートルから4メートル外形円形4基に方形、長形が各1基と一様ではなく内部構造石槨地下設けるもの2基と地上式のもの4基とがあるが、地下経塚地上式より以前造営されたものと考えられる。その存在以前から知られていたが、発掘調査が行われたのは昭和53年1978年)で、その際凝灰岩製外筒破片4個分と方形湖州鏡網代地文円鏡、交釉の陶器水瓶三筋壺、土師器などの残欠および破片短刀刀子宋銭出土した経塚群中、円形3号経塚平板状の石で組立てた箱形石槨地下設け石槨外周木炭詰めて積石をした上に封土盛ったもので群中最古経塚推定され奈良国立博物館には同経塚出土考えられる、『法華経』と覚しき8個の経巻の残塊が納められ鋳銅経筒とそれを包む砂岩製の外筒が所蔵される。これは昭和26年盗掘されものというが、経筒と外筒共に銘文認められない学術的価値の高い宗教遺跡として福島県史跡指定されている(昭和54年3月23日指定)。 経塚群の西端かつては蔵王宮があったという地点後方磐座と見られる3つ裂けた花崗岩立石があり、その基部付近土中からも土師器宋銭多数出土し、また立石前にある小規模な礎石群からは釘が数点出土している。これら出土品経塚築造に伴う祭祀遺物考えられるが、立石修験道聖地とされる奈良県金峯山山上ヶ岳山頂にある蔵王権現湧出岩に見立てて行われた経塚造営先行する祭祀遺物であると見ることもでき、いずれにせよ経塚経営末法思想背景にした法華経に基づく写経供養といった慣行に伴うものと見られ天台宗系の寺院に多いことと、木幡山北東麓に当たる川俣町山麓縁辺和田西田山、小島等といった経塚分布することから、経塚経営含めて中世期天台修験寺院として木幡山支配した治陸寺の宗勢を示すものと考えられる

※この「木幡山経塚群(木幡山蔵王経塚)」の解説は、「木幡山」の解説の一部です。
「木幡山経塚群(木幡山蔵王経塚)」を含む「木幡山」の記事については、「木幡山」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「木幡山経塚群」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「木幡山経塚群」の関連用語

木幡山経塚群のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



木幡山経塚群のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの木幡山 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS