木幡山伏見城遺構
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 14:31 UTC 版)
徳川期の木幡山伏見城については廃城に際して天守を始め多くの建物が他の場所に移築され、例えば天守は二条城天守へ、本丸御殿は大坂城仮御殿となった。特に福山城(広島県福山市)には徳川幕府の西国鎮衛の目的もあり、櫓、城門、殿舎、湯殿、多聞櫓、築地塀、土塀など多くの施設が移されている。なお、伏見城の建物ではないが「伏見」の名称を用いた建物として江戸城と大坂城の伏見櫓がある(ただし、その名称から伏見城の遺構との言い伝えが生まれている)。 移築の伝承を持ち現存する主な施設を以下に挙げる。
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