朝鮮での活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/12 08:13 UTC 版)
1904年(明治37年)2月日露戦争が勃発すると、9月1日臨時軍用鉄道監部の増員として釜山に上陸、馬山浦鉄道班長を務め、1905年(明治38年)10月21日馬山浦(朝鮮語版)・三浪津間に馬山浦鉄道(朝鮮語版)を開通させた。1906年(明治39年)1月臨時軍用鉄道監部に呼び戻されるも、陸軍大臣寺内正毅により留任を命じられ、停車場や洛東江鉄橋の整備、馬山浦の埋立等に当たった。1906年(明治39年)9月3日築城部本部に戻り、1907年(明治40年)4月19日建築部本部に転じ、20日東京支部長を兼ね、陸軍の一般工事に従事した。 1908年(明治41年)2月26日韓国駐箚軍木材廠に召集され、満州安東県(中国語版)の森林事業を管理した。7月1日寺内陸相により統監府(韓国併合後:朝鮮総督府)営林廠長に抜擢され、新義州に置かれた役所で鴨緑江・豆満江の軍用木材輸送を管理した。 1908年(明治41年)6月頃から頭痛・眩暈を発症し、蛋白尿・言語障害・右半身麻痺に発展、慢性腎臓炎・脳溢血と診断され、1914年(大正3年)6月2日依願退職した。その後の消息は不明だが、1922年(大正11年)には生存が確認でき、住所は東京市東大久保421番地(東京都新宿区新宿6丁目)となっている。
※この「朝鮮での活動」の解説は、「時尾善三郎」の解説の一部です。
「朝鮮での活動」を含む「時尾善三郎」の記事については、「時尾善三郎」の概要を参照ください。
- 朝鮮での活動のページへのリンク