朝鮮での遊郭業と日清戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:36 UTC 版)
「日本の慰安婦」の記事における「朝鮮での遊郭業と日清戦争」の解説
1876年に李氏朝鮮が日朝修好条規を締結した開国して以降は、釜山と元山に日本人居留地が形成され、日本式の遊廓なども開業していった。1881年10月には釜山で「貸座敷並ニ芸娼妓営業規則」が定められ、元山でも「娼妓類似営業の取締」が行われた。翌1882年には釜山領事により「貸座敷及び芸娼妓に関する布達」が発布され、貸座敷業者と芸娼妓には課税され、芸娼妓には営業鑑札(営業許可証)の取得を義務づけた。1885年には京城領事館達「売淫取締規則」が出され、ソウルでの売春業は禁止された。 しかし、1894年 - 1895年の日清戦争後には料理店での芸妓雇用が公認(営業許可制)され、1902年には釜山と仁川、1903年に元山、1904年にソウル、1905年に鎮南浦で遊郭が形成された。
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