朝鮮での幼年時代と学問を志す日々
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/08 14:20 UTC 版)
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1922年 朝鮮併合時代の朝鮮忠清北道清州郡清州面(現在の清州市)にて七人兄弟姉妹の次男として生まれる。幼年時は朝鮮の子供達を従えて走り回るガキ大将だった。 1931年 視学としての赴任を終えた父と共に実家の鳥取県岩美郡国安村(現在の鳥取市)に帰国。倉田尋常高等小学校に編入。 1934年 旧制鳥取第二中学校に進学。よき友よき師に恵まれ、勉学に運動に好成績を残した。翌年父が鳥取市役所に職を得て、鳥取市庖丁人町の借家に転居。さらに1938年には鳥取市東町の住宅を父が購入し、ここに生涯住むことになる。 1939年 進学先を日本各地の普通高、工業、商業、農業と悩んだ挙句、結局鳥取高等農業学校農芸化学科に進学した。ここでの3年間も師や友に恵まれ専門書を繰り返し読み、物理化学の勉学にいそしみ大学への進学を決断。 1942年 九州帝国大学農学部農芸化学科に進学。充実した学生生活で、学問への情熱に燃え、学者になることを夢見るが、逼迫する戦況のため就学は実質2年間だった。級友が次々に学徒出陣して行き、自分も国家のために身を投じるべきと考えるようになった。
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