朝比奈茂吉
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朝比奈 茂吉(あさひな もきち、嘉永4年(1851年) - 明治27年(1894年))は、江戸時代末期(幕末)の美濃郡上藩士。凌霜隊隊長。明治時代には滋賀県議会議員を務めた。朝比奈茂吉の写真は個人蔵で残されている。
- ^ 当時15歳であり、主導力に乏しかった。
- ^ 藩論は勤王だった。
- ^ 凌霜とは「霜を凌いで咲く葉菊のような不撓不屈の精神」を表す言葉、青山家の家紋である青山葉菊に由来する。幸宜自身の佐幕の思いが垣間見える。
- ^ 謹慎解禁時は54歳で、実質的な指揮官
- ^ 行道。参謀も兼任
- ^ 「心苦雑記」
- ^ 釈迦堂の格天井には八十八枚の菊花紋章があり、凌霜隊は天子様に背くだけではなく青山家の家紋の一部にもなっているとしてこれを焼くことに躊躇する隊士もいたことから一計を案じ「図を別物に改ざんして皇威を打ち消せば心理的に抵抗感が薄れるであろう」として墨で紋章に〆印を付けることにした。
- ^ 隊の密使となって会津若松へ偵察に行っていた村民の渡辺新五右衛門が帰村して焼き打ちの仕打ちに驚き「せめて村の菩提寺だけは焼かないでくれ」と懇願したため、凌霜隊はこれを受けて本堂から離れた風上の畑に薪を積んで寺を白煙で覆うことにした。
- ^ 速見らは11石、その他は9石。茂吉は即座に断っている。
- ^ 三河出身の井伊家付家老の家柄。椋原正直を初代。
- 1 朝比奈茂吉とは
- 2 朝比奈茂吉の概要
- 3 関連作品
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