凌霜隊結成
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同年4月10日(5月2日)17歳の茂吉が隊長となって江戸在番の脱藩士45名による部隊「凌霜隊」を形成した(「凌霜」とは霜を凌いで咲く葉菊のような不撓不屈の精神を表す言葉、青山家の家紋である青山葉菊に由来する。幸宜自身の佐幕の思いが垣間見える)。これは国家老・鈴木兵左衛門が官軍・旧幕府軍どちらが勝っても藩が存続できるように画策したもので、江戸の朝比奈藤兵衛と連携した二股的な戦略であったと考えられている。 表向き「江戸で暴動を起こした一部の若い藩士」・「無届脱藩」という形で茂吉は副隊長の坂田林左衛門・速見小三郎らとともに江戸に出立する。しかし4月11日、江戸城は無血開城となり、15代将軍徳川慶喜は謹慎の意を示すため水戸へ出発してしまう。これに不満を抱いた旧幕府勢力は江戸を脱走し、日光のお膝元での決戦を図ったため凌霜隊もこれに合流するべく急いだ。
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