最期~現在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 22:50 UTC 版)
1978年、ザ・フー3年ぶりのオリジナル・アルバム『フー・アー・ユー』がリリースされる。この頃になるとムーンはもはや6/8拍子を叩くことができなくなっていたという。結果的にこれがムーンが参加した最後のザ・フーのオリジナル・アルバムとなった。 同年5月には映画『キッズ・アー・オールライト』用のシークレット・ライブが行われた。ムーンの体調は優れなかったが、この時の演奏は上手くいき、非常に盛り上がるライブとなった。このライブがムーン最後のステージとなった。同年9月1日、映画『キッズ・アー・オールライト』の無音部分に音を重ねるためのレコーディングを行うが、この時にはムーンは2、3時間もたつとスティックを握るのがやっとの状態になったという。 9月7日、ポール・マッカートニー主催のパーティーに出席した翌朝、アネットが作った朝食を採り、32錠ものヘミネブリン(クロメチアゾール(英語版)、アルコール依存症の離脱症状を抑える薬物)を飲んだ後、昼寝についた。午後3時ごろ、アネットがムーンの様子を覗きにいくと(ムーンのうるさいいびきから逃れるために別部屋にいた)、ムーンがうつぶせのまま動かなくなっているのを見つけた。すぐさま病院に担ぎ込まれたが死亡が確認された。32歳だった。検死の結果、警察はムーンの死因が飲み込んだ32錠のうち6錠が消化されたことによるオーバードーズであると発表した。 遺体は11日にロンドンのゴルダーズグリーン火葬場にて荼毘に付され、13日に行われた葬儀ではザ・フーのメンバーの他に前妻のキムと娘、さらにエリック・クラプトンやビル・ワイマン、チャーリー・ワッツらが訪れた。 ムーンの死の翌日、タウンゼントは「俺達はロック界きっての天性のドラマーを失った。俺達は彼を愛していたが、彼は逝ってしまった。だが俺達は、かつてないほど活動続行へ燃えている。キースがバンドに注いでくれた精神を持ち続けてこうと思ってる。例え彼の代わりになる人間などいないとわかっていても」という声明文を発表し、ザ・フーの活動継続を宣言した。翌1979年、元フェイセズのケニー・ジョーンズを加入させ本格的に活動を再開するが、やはりムーンを失った影響は大きく、1982年12月を持ってザ・フーは一旦解散した。 ザ・フーはその後も断続的な再活動を繰り返すが、1996年から本格的に復活する。ドラムを受け継いだのは、リンゴ・スターの息子で、生前のムーンが可愛がってドラムを教えていたザック・スターキーだった。以後、現在までスターキーがドラムを叩き続けている。
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