最末期におけるアル・アンダルス=アラビア語
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レコンキスタの進展に伴い、イスラム教国は次々と崩壊し、遂にはグラナダ一国を残すのみとなった。アラビア語はグラナダ王国の住民やその周辺の南部イベリアで引き続き広く使用されたが、イスラム教徒の中にも日常生活ではモサラベ語のようなロマンス語を使用するものが多く、アラビア語母語話者はグラナダ王国においてさえ必ずしも多数派ではなかった。またこの時期のアラビア語は、長年のロマンス語との接触の結果、非常に多くのロマンス語語彙やロマンス式語法を含んでおり、純正なフスハーからはもはや程遠かったと記録されている。 グラナダ陥落後も、アラビア語はムスリムたちの母語として、または第二言語として用いられたが、遅くとも18世紀には実用言語としての命脈を絶った。現在ではアンダルシア、ムルシアの伝統音楽の中で使用されるのみである。 詳細な区分としては、グラナダ王国期のアラビア語は、グラナダ王国で使用されたグラナダ=アラビア語と、それ以外の地域のムデハル(スペイン語版)(イベリア半島に残留したムスリム)たちが使用したムデハル=アラビア語に分かれる。両者の差異はさほど大きくなく、共にロマンス語に極めて大きく侵食されたアラビア語である。レコンキスタ完了後にモリスコによって使用されたアラビア語を特に取り上げる際は、モリスコ=アラビア語という名称が使われる。
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