グラナダ陥落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 17:59 UTC 版)
1482年、グラナダで内乱が発生した。これを好機と見て、カスティーリャはグラナダへの侵攻を開始した。1486年までにグラナダの西半分を制圧、1489年までには残りの東半分も制圧した。1490年、カスティーリャはムスリム勢力最後の拠点グラナダを包囲した。グラナダは2年間にわたる攻囲戦を戦い、その間にカスティーリャは軍事拠点としてサンタ・フェを建設した。1492年1月2日、アルハンブラ宮殿が陥落し、ナスル朝は滅亡、レコンキスタはここに終結した。 その後、血の純潔規定(スペイン語版)などのキリスト教純化政策をとったフェルナンド5世はユダヤ人などの異教徒を追放したが、その結果としてスペインの凋落を招くこととなる。
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