昼行優等列車全特急化とその後
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「有明 (列車)」の記事における「昼行優等列車全特急化とその後」の解説
1980年(昭和55年)10月1日:このときのダイヤ改正により、山陽新幹線に接続する鹿児島本線系統の昼行優等列車を特急列車に統一。これにより、昼行急行「ぎんなん」・「かいもん」の全列車、急行「えびの」・「火の山」の博多駅 - 熊本駅間を格上げして「有明」18往復体制とする。ただし、1往復は季節列車。581系・583系以外の食堂車が編成から外される。これに伴い、鹿児島本線内の定期急行列車は夜行列車の「かいもん」のみとなる。なお、臨時急行として「しらぬい」が博多駅 - 熊本駅間で運行された。 また、小倉駅発着列車についてはすべて博多駅発着とし、博多駅以北の乗り入れは門司港駅発着列車の1往復のみとなる。 この改正では高速バスへの対抗策として、博多駅 - 熊本駅間無停車の「有明」を3往復設定したが、この区間では速達性が弱かったことや、途中駅の乗降客からの批判などにより、1982年11月15日のダイヤ改正で再び鳥栖駅・久留米駅・大牟田駅には全列車が停車するようになった。 博多駅 - 湯前駅間の急行「くまがわ」は廃止予定だったが、人吉温泉郷からの陳情により、博多駅 - 熊本駅間を快速格下げの形で直通列車として残された。 1982年(昭和57年)11月15日:この時のダイヤ改正に伴い「有明」は季節列車1往復を含む17往復に減少。581系・583系は1往復のみに。また、熊本発着「有明」のほとんどを7両編成に短縮。 1984年(昭和59年)2月:この時のダイヤ改正に伴い「有明」は15往復に減少。これに伴い581系・583系撤退。全列車9両編成から7両編成に短縮。 1985年(昭和60年):夜行列車「かいもん」の臨時増発列車として博多駅 - 西鹿児島駅間を運行する寝台特急「桜島」(さくらじま)が運行される。この列車の場合、「はやぶさ」で使用された24系客車を使用したため特急列車となったが、往復の運行ではなく、上りまたは下りの片道のみの運行が多かった。 また臨時増発列車として小倉駅・博多駅 - 熊本駅・八代駅間を運行する急行「ひのくに」が1993年まで運行される。末期は811系を充当。 またこの年から「有明」の一部編成を5両編成に短縮。先頭車両は中間車に運転台を取り付けたクモハ485とクロ480が主力となり、485系編成のイラストマークが本格的に見られるようになる。この頃、臨時列車用にボンネット形用のイラストマークが製作された。 1986年(昭和61年)11月1日:このときのダイヤ改正により、以下のように変更「有明」が熊本駅発着列車を中心に25往復に増発。また、西鹿児島駅発着列車は基本5両に、熊本駅発着列車は3両(一部5両)に編成を見直し。この3両編成の「有明」は、それまで佐世保線特急「みどり」が持っていた4両の記録を抜いて国鉄史上最短の特急となった。なお、民営化後は特急の短編成化が全国で見られ、気動車では2両編成の特急も現れた。 また車両の改造が間に合わなかった関係で、3両編成の列車は翌年の2月までグリーン車を連結しない場合があった。 「かいもん」の寝台車を24系客車に変更。
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