映画作品での仕事
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今井が映画音楽の分野で健筆を振るったのは、いわゆる劇映画ではなく、主にドキュメンタリー映画の分野である。特に1984年(昭和59年)、劇団アルス・ノーヴァの演技部出身のドキュメンタリー映画作家・前田憲二が監督した『沖縄戦の図・命(ぬち)どう宝(丸木位里・俊の記録)』(前田プロモーション)、さらにビルバオ映画祭特別賞を受賞した『土佐の泥絵師「繪金」』(1984/前田プロモーション)の音楽を担当して以来、前田作品に今井の音楽は欠かせないものとなる。なぜ劇映画ではなくドキュメンタリー映画に惹かれたか、については、後年「特に劇映画を避けていたわけでなく、演劇や舞台の仕事で忙しかったので時間がなかった。その点ドキュメンタリー映画は1年に1本ぐらいだし、また、知り合いからのたっての依頼だったので断れなかった」と語っている。 今井の映画音楽の初期作品としては『肌が知っている』、『佐久間』、『愛は惜しみなく』、『生き抜く』、『東京消失』などがある。以下は、映画音楽分野の代表的な作品群である。 1984年(昭和59年)、51歳。『沖縄戦の図・命(ぬち)どう宝(丸木位里・俊の記録)』(前田憲二監督 / 前田プロモーション)、『土佐の泥絵師「繪金」』(前田憲二監督 / 前田プロモーション) 1986年(昭和61年)、53歳。『トリ・ムシ・サカナの子守歌』(亀井文夫監督 / 亀井文夫プロダクション) 1988年(昭和63年)、55歳。『神々の履歴書』(前田憲二監督 / 「神々の履歴書製作委員会) 1991年(平成3年)、58歳。『人間よ傲るなかれ〜映画監督亀井文夫の世界〜』(手塚陽監督 / 手塚プロ=日本ドキュメントフィルム) 1995年(平成7年)、62歳。『恨(ハン)・芸能曼荼羅』(前田憲二監督 / 映像ハヌル) 2001年(平成13年)、68歳。『百萬人の身世打(しんせたり)鈴(よん)-朝鮮人強制連行・強制労働の恨-』(前田憲二監督 / 映像ハヌル) 2008年(平成20年)、75歳。『原色に白を求める画家・呉炳学の宇宙』(前田憲二監督 / NPOハヌル・ハウス)
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