明治期の動きとは? わかりやすく解説

明治期の動き

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 02:58 UTC 版)

宮川電気」の記事における「明治期の動き」の解説

1897年6月10日宮川電気電気供給事業開業した三重県下では津市津電灯続いて2番目の電気事業者である。当初点灯数は781灯。電源となる火力発電所は、市内岩淵町岩渕町)の、後に中部電力伊勢営業所(.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯3429分15.4秒 東経13642分38.9秒 / 北緯34.487611度 東経136.710806度 / 34.487611; 136.710806 (中部電力伊勢営業所))が建設される位置にあり、当初50キロワット交流発電機が1台設置された。この岩渕発電所開業翌年3月に早速増設され、以後増設重ねられている。また1899年明治32年11月に、設立時から取締役であった地元太田小三郎が社長に就任した開業から間もない1897年9月山田から二見へ至る電気軌道敷設許可得た5年後1902年明治35年12月より敷設工事着手し、まず1903年明治36年8月岩渕町二見間で運転を始めた軌道事業電源には岩渕発電所増設された専用発電機充てられた。完成後の1903年9月26万円への倍額増資決議し、翌1904年明治37年2月12日登記日)、社名宮川電気から「伊勢電気鉄道株式会社」へ変更した路線網については、1905年明治38年8月山田駅前(現・伊勢市駅前)まで延伸し、翌年10月猿田彦神社前に達するなど順次拡大していった。 事業拡大につれて会社資本金膨張し1906年明治39年7月70万円への増資決議、翌1907年明治40年3月には3回目増資決議され以降資本金は140万円となった。また同年1月岩渕町電車車庫隣接して電車用の第二発電所竣工した。同発電所は後に供給発電機増設され、主力発電所となっている。明治末期には供給区域拡大しており、1907年6月浜郷村四郷村1908年8月二見町1911年明治44年6月神社町大湊町順次電灯供給始めた

※この「明治期の動き」の解説は、「宮川電気」の解説の一部です。
「明治期の動き」を含む「宮川電気」の記事については、「宮川電気」の概要を参照ください。

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