明治期の大本営
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1893年(明治26年)5月22日の勅令第52号「戦時大本営条例」の組織では、第3条で大本営の幕僚は陸海軍将校で組織するとされた。改正された1903年(明治36年)12月28日勅令第293号「戦時大本営条例」では、第2条で大本営には幕僚と各機関の高等部を置くとされた。 日露戦争時、大本営の御前会議の開催に定日があったわけではなかったが、概ね週一回開催され、戦局上特に必要な場合や重大な報告がある場合には臨時に参集された。日露戦争での第1回の大本営会議は1904年(明治37年)2月13日に開かれ、大本営幕僚である参謀総長の大山巌と海軍軍令部長の伊東祐亨のほか、内閣総理大臣の桂太郎、外務大臣の小村寿太郎、枢密院議長の伊藤博文、元帥の山縣有朋、陸軍大臣の寺内正毅、海軍大臣の山本権兵衛が列席した。
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