明治期の改良
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 04:39 UTC 版)
明治時代、政府は西洋式帆船と日本式の帆船を区別するため、弁才船など従来の日本式帆船を大和型船と呼んだ。 明治期になっても弁才船はその優れた経済性と実用性、西洋船に対する法律の煩雑さや操帆の不慣れから、以後も内航輸送の主力として西洋船の特徴を導入しつつ、昭和初期に機帆船に置き換わるまで運用され続けた。 西洋船技術の導入例は肋材の導入、舵の洋式化、ジブ(船首の三角帆)・スパンカー(船尾の縦帆)の追加、帆のスクーナー式または伸子帆(木綿製ジャンク帆)への変更や、弁才船と西洋船双方の船体構造を融合させた船体にスクーナー式の帆装など多種多岐に及ぶ。
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