明治期の小湊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 08:40 UTC 版)
明治維新後の1871年(明治4年)、誕生寺の支配を離れ、境内地を除く他の寺領は全て上知を命じられて政府に返納、木更津県次いで1873年(明治6年)6月、千葉県の成立によって、千葉県小湊漁港の管轄下に置かれた。1879年(明治12年)10月に小湊村・内浦村連合村が、安房・平・朝夷 ・長狭の四郡連合の郡役所に提出した「水産調」には、明治初期の漁業はカツオ・マグロ・サンマ・イワシ・サメ・サバ・タコ・イカなどの漁が盛んであった。漁況については、1887年(明治20年)頃から次第に不振となったが、1892年(明治25年)頃から回復し、6 - 7年間は盛況であったが、その後また不振となる。水揚げ金額は、1909年(明治42年)から1911年(明治44年)までの3か年平均で、マグロ・ヒラメ ・サメ・サンマ・カツオの順であった。内浦湾小湊漁港に出入りする漁船は、明治末1か年に地元船160隻、銚子・白浜・相模・伊豆などからの漁船25隻(うち西洋型船2隻)を数え、漁船が最も多く出入りしたのは、マグロ・カツオ・サンマ・サメの漁期である10月から12月であった。
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