明治期の朱引
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 15:43 UTC 版)
1869年(明治2年)2月19日、東京府は、新たな朱引を定めた。この明治期の朱引は、皇居を中心として、朱引の内側を「市街地」、外側を「郷村地」と定めるものだった。同年3月16日には、朱引内に50区の区画が制定された(五十番組制、五十区制)。1871年(明治4年6月13日)、再改正によって範囲を縮小された朱引内は44区に再編成(朱引内四十四区制)され、1878年(明治11年)の郡区町村編制法の施行(東京15区の制定)まで続いた。
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