明治天皇と御賞典(賞品)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 16:15 UTC 版)
明治天皇は日本各地へ巡幸して、その先々で競馬を台覧し、優勝騎手や馬主らに賞金や賞品を下賜した。下賜された品々は、樽酒や黄八丈、白絽の反物、白羽二重、美術品、工芸品などである。 根岸競馬は多くの賞金や賞品を外部のパトロンやスポンサーから得ており、とりわけ皇室や皇族はその代表格だった。たとえばロシア皇太子の名を冠した “Cesarewitch Gift” という競走の賞品を実際に提供していたのは日本の皇室だった。根岸競馬場で明治天皇が下賜したものは記録に残っているもので、「銅製花瓶」一対、「経一尺龍浮彫七宝入銀製花瓶」などがある。1900年(明治33年)にはロシア全権公使ローゼン男爵がMirror号の優勝により「銀製花鳥七宝菓子敷」を授与されている。ほかにも上野へ「金象眼銅製馬」を下賜した記録がある。なお、皇室以外では、根岸競馬の神奈川賞杯競走で神奈川県令が「青銅製酒杯」を賞賜している。 天皇賞のルーツとされるThe Emperor's Cupの創設にあたって、明治天皇が下賜した御賞典を受け取った日本レース倶楽部では「尊重の重宝」と邦訳した。一方、1906年(明治39年)秋に池上競馬場で行われた皇室賞典では「銀製花盛鉢」が下賜された。これは直径が約30センチ(1尺)、深さが約15センチ(5寸)の大銀鉢で、三本の脚がつき、菊花の文様が高彫されていたと伝わる。以後も菊花御紋付銀製花盛器(銀製鉢や洋杯)が下賜された。御賞典は拝領する側にも相応のマナーが必要とされ、馬主や関係者は拝領式の際、正装(モーニングか国民服、軍服でも可)で臨むこととされていた。 1888年の根岸(横浜)競馬場メインスタンドと御下賜賞品のブロンズ花瓶 1899年5月9日に明治天皇から下賜された白銀花瓶(菊花御紋付銀製花盛器) 1908年の帝室御賞典で日本レースクラブに下賜された御紋付花盛器(横浜競馬場メインスタンド)
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