明治天皇との対面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 01:32 UTC 版)
明治天皇は明治19年(1886年)までに3度脚気になったことから、脚気予防に関心を寄せていた。明治天皇は軍隊での脚気根絶の報告を聞き、自らの意志で自分の常食を麦飯に変えた。明治天皇は明治19年を最後に以後脚気に一度もかからなかった。明治20年(1887年)2月25日に明治天皇が大阪行幸した際に大阪鎮台に出向き堀内利国を呼んで謁見した。堀内利国は明治20年10月に東京の将官会議に参加し、高島中将とともに全陸軍での麦飯採用を提案したが、陸軍省医務局の人々は「麦飯が脚気に効くはずがない。麦飯の採用と脚気流行の減少が偶然重なっただけだ」という考えを変えなかった。面目を潰された堀内利国は辞表を提出したが、慰留されてやっととどまった。
※この「明治天皇との対面」の解説は、「堀内利国」の解説の一部です。
「明治天皇との対面」を含む「堀内利国」の記事については、「堀内利国」の概要を参照ください。
- 明治天皇との対面のページへのリンク