明治天皇と有栖川宮家のエピソードとは? わかりやすく解説

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明治天皇と有栖川宮家のエピソード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/27 17:25 UTC 版)

玉川遠州流」の記事における「明治天皇と有栖川宮家のエピソード」の解説

北海道から青森県通過し秋田県明治天皇巡幸したのが1881年明治14年9月11日で、当日東大館(現 大館市)に宿泊している。翌12日二ツ井村(現 能代市)、13日能代14日一日市村(現 八郎潟町)、15日土崎港16日17日秋田18日仙北郡境村(現 大仙市)、19日刈和野神宮寺花館通って大曲の9代小西伝助が3,300円の自費新築した邸内設けられ大曲御休所1時間ほど休息をとり、角間川村御泊行在所あんざいしょ)の本郷右衛門宅に向かった9月19日20日御巡幸道筋は、一般に羽州街道刈和野大曲六郷金沢横手に至るとされていたが、先発官と県令から、刈和野大曲角間川横手に至ると通知された。驚いた六郷町民は極度に興奮し道筋変更県庁に強願したが、却下された。それにより騒ぎ大きくなり、遂に松方正義内務卿に「輦路(れんろ)得失献言書」を提出相談受けた明治天皇書道歌道の師で玉川遠州流嗜む有栖川宮8代幟仁(たかひと)親王は、天皇供奉(ぐぶ、おとも)する第1王子有栖川宮9代熾仁(たるひと)親王進言その結果天皇輦路(れんろ、風輦(ほうれん)の通路)は大曲角間川六郷金沢横手の通輦(つうれん)に変更され角間川横手を結ぶ角間川新道当流嗜む陸軍大将左大臣兼務する有栖川宮9代熾仁(たるひと)親王御代となった。風輦(ほうれん)は、天皇行幸用の乗り物の称である。 9月20日六郷御小休所は、斎藤喜代輔宅地内の諏訪神社境内設けられ仁手古(ニテコ)清水御膳とする茶席用意された。茶席担当は、斎藤喜代輔宮司と、親戚当流監察冨樫森月(38歳大曲)で、明治天皇武官200名に呈茶されたと伝わる。茶席には、特産ブドウ六郷名物シンコ餅なども差し出された。仁手古(ニテコ)の語源は、アイヌ語の「ニタイ森林)」と「コツ水たまり)」を合わせた「ニタイコツ」から「ニテコ」に変化したものと伝わる。

※この「明治天皇と有栖川宮家のエピソード」の解説は、「玉川遠州流」の解説の一部です。
「明治天皇と有栖川宮家のエピソード」を含む「玉川遠州流」の記事については、「玉川遠州流」の概要を参照ください。

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