明治天皇と習志野行幸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 05:24 UTC 版)
「明治天皇紀」及び「明治天皇御遺跡」によると明治天皇は明治6年、明治7年、明治10年、明治11年、明治13年、明治14年、明治33年、明治45年に年に一度、明治8年、明治9年、明治15年各年に2度の計14回習志野原に行幸をしたという公式な記録が残っている。 このうち明治8年の順路は以下のようになっていた(明治天皇御遺跡による) 皇居→小休止・西小松川(矢沢孫右衛門宅)→小休止・伊予田村(清水嘉蔵宅)→昼食・市川(田中喜兵衛宅)→小休止・八幡(安藤与兵衛宅)→宿泊・船橋(山口丈吉宅)→翌日に習志野原で演習台覧→宿泊(大和田・大沢小十郎宅)※帰路は順路の逆※明治天皇は時に習志野原近くの薬園台(宍倉七右衛門宅)に宿泊されることもあった。
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