昇進・再渡米
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元治元年(1864年)6月には勘定吟味役に昇進。同年7月2日には、「金銀吹替并吹立御用」を兼務し外国貨幣と日本貨幣の内外価格差による金銀貨の流出防止に努めた。11月に幕府主宰の横須賀製鉄所設立に関与し、横須賀周辺の造船所候補地の実地調査に赴いている。7月から12月の第一次長州征討および2年後の慶応2年(1866年)6月から9月の第二次長州征討で幕府陸軍動員にあたり、動員・補給計画に携わる。同年9月、河合鎬吉郎の娘・うたと再婚。 長州藩との戦争を経て、海軍充実の必要性を痛感した幕府は、さらなる軍艦補充を画策。小野は軍艦調達の命を受け、慶応3年(1867年)1月には再び渡米し、幕府軍艦の調達にあたる。小野を正使としたこの使節団には、小笠原調査も供にした松本寿太夫(副使、元万延元年遣米使節)、福沢諭吉、津田仙、尺振八、岩田平作、小笠原賢蔵らが参加した。国務長官ウィリアム・スワード、大統領アンドリュー・ジョンソン、ユリシーズ・グラントと会見、海軍省との交渉の末、ストーンウォール号の購入に成功(同艦は後に「甲鉄」と呼ばれ、宮古湾海戦の中心となり、明治4年に「東艦」と改名される)。また甲鉄艦のほかにも11インチダールグレン砲や海軍用蒸気消火ポンプ、陸戦兵器としてスペンサー銃1000挺、ヘンリー銃300挺とそれに付随する金属薬莢製造装置、更には2万ドル相当の最新科学技術書をこの際に購入した。
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