旭日二十銭銀貨
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 16:48 UTC 版)
「日本の銀貨#明治39・40年改正補助銀貨」も参照 品位:銀80%、銅20% 量目:4.05g 直径:20.303mm 図柄:菊花紋章、菊枝と桐枝、「二十錢」(表面)、旭日、桜、年号、「大日本」、「20SEN」(裏面) 周囲:ギザあり 発行開始:1906年(明治39年) 1906年(明治39年)、貨幣法の改正により五十銭・二十銭・十銭の各銀貨の裏面がデザイン変更され、竜図が廃止され旭日とそれを囲む小さな桜花に変更され、これをもって日本の貨幣の竜図は完全に姿を消した。このとき五十銭・二十銭については、下落傾向にあった銀相場が上昇に転じたことにより鋳潰しの恐れが出たため、量目が約25%減量された(十銭については当初量目削減は行われず明治39年銘として製造され、日銀に引き渡された(発行された)ものの流通せず、1907年(明治40年)に品位を72%に下げて純銀量を他の銀貨に比例させた上で製造・発行され流通している)。 1911年(明治44年)まで製造され、その期間中は全ての年銘が連続して製造されているが、最終年号の明治44年銘は特年となっている。旭日五十銭銀貨と旭日十銭銀貨は1916年(大正6年)まで製造されたが、旭日二十銭銀貨は20銭という額面が中途半端に感じられたためか、それより先に製造が打ち切られている。また当時流通していた五銭硬貨である稲五銭白銅貨とは直径が非常に近く、そのことも流通の不便さの要因となった。 この後は、第一次世界大戦の影響による銀価格の高騰を受け、銀品位を下げて量目を更に減量させた八咫烏二十銭銀貨が1918年(大正7年)に、そして更なる銀価格の高騰を受けて量目を更に減量させた小型鳳凰二十銭銀貨が1922年(大正11年)に、それぞれ貨幣法の改正により制定されているが、いずれも流通用としては製造されず、試作のみに終わった。なおその銀価格の高騰期に当たる1917年(大正6年)から1919年(大正8年)までの期間には、20銭の法定通貨としては大正小額政府紙幣二十銭券が製造され、こちらは発行されている。
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