旧滝沢本陣とは? わかりやすく解説

旧滝沢本陣

名称: 旧滝沢本陣
ふりがな きゅうたきざわほんじん
種別 史跡
種別2:
都道府県 福島県
市区町村 会津若松市一箕町
管理団体
指定年月日 1970.03.16(昭和45.03.16)
指定基準 史6
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S44-12-005旧滝沢本陣.txt: 旧滝沢村若松城下から東北26町余の白河街道筋にある。滝沢11郷頭であった横山家本陣となったのは、寛文年間であるといわれる
 その後歴代会津藩主の参勤交替領内巡視藩祖保科正之をまつる土津神社への参詣休息所として利用され戊辰役には、藩主出陣によって、一時本営となった
 現存する本陣建物は、幕末に藩に提出した指図控えとほとんど一致し、まず街道南面する御入御門をはいり、前庭をよこぎると、主屋があり、濡縁・入側の奥に御座之間、御次之間、濡縁の西の突きあたりから南に、別棟湯殿がある。御次之間の西に、式台御次広間、三之間、御膳仕立所が並び、さらに御茶方之間に連なる。ここが台所となる。指図多少相違はあるが、ほとんど原形保っているのは貴重である。また御入御門は左右の塀に接し、西の塀ぞいに高札場があり、名子屋と通称される建物も、老朽化しているが残っている。これらの諸建物をふくむ旧本陣敷地指定するのである

旧滝沢本陣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 01:40 UTC 版)

旧滝沢本陣(きゅうたきざわほんじん)は、福島県会津若松市にある会津藩本陣跡。国の史跡に指定されている。現存する建物のうち、主屋および座敷は、旧滝沢本陣横山家住宅(主屋・座敷)として国の重要文化財に指定、敷地と建物は国の史跡に指定されている。


  1. ^ 会津藩の参勤交代は下野街道が使われていたが、1683年天和3年)に街道沿いにおきた地震により山崩れがおき、下野街道は不通となった。これにより、会津藩の参勤交代ルートは、白河街道に変更された。
  2. ^ (なご) 郷頭、肝煎、本百姓などの主人の屋敷内外に居住し、生産手段を貸与され、主人の命じる農事の労役に従事した隷属農民。


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