旧有壁宿本陣とは? わかりやすく解説

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旧有壁宿本陣

名称: 旧有壁宿本陣
ふりがな きゅうありかべじゅくほんじん
種別 史跡
種別2:
都道府県 宮城県
市区町村 栗原市
管理団体
指定年月日 1971.05.27(昭和46.05.27)
指定基準 史6
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S46-5-109旧有壁宿本陣.txt: 有壁宿は、奥州道中一関宿・金成宿の中間設けられたもので、幕末までその機能維持された。
 もともとこの本陣は、延享元年宿場本町全焼により、現位置改められた。その後数回修理等がなされ、現在、本陣萱葺き瓦葺き改められているが、御成門本陣私宅がよく遺存しているなど、主要街道数少ない本陣遺構として貴重である。

旧有壁宿本陣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/30 05:07 UTC 版)

旧有壁宿本陣

旧有壁宿本陣 (2019年3月)
情報
用途 国の史跡
所在地 〒989-4806
宮城県栗原市金成有壁
座標 北緯38度52分4.6秒 東経141度7分31.5秒 / 北緯38.867944度 東経141.125417度 / 38.867944; 141.125417 (旧有壁宿本陣)座標: 北緯38度52分4.6秒 東経141度7分31.5秒 / 北緯38.867944度 東経141.125417度 / 38.867944; 141.125417 (旧有壁宿本陣)
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旧有壁宿本陣(きゅうありかべじゅくほんじん)は、宮城県栗原市金成有壁にある建築物。江戸時代には奥州街道の有壁宿本陣として使用され、1971年昭和46年)5月に国の史跡に指定された[1]

概要

旧有壁宿本陣は、元和5年(1619年)に奥州街道の金成宿と一関宿の間に位置する有壁宿の宿駅として創設され、代々町の検断を務めていた佐藤家により運営され[2]参勤交代制度の確立後は、松前・八戸・盛岡・一関の各藩主や藩重臣が通行の際に宿泊所として使用した[1]。現存する建造物は、延享元年(1744年)の宿場町全焼の火災のため、場所を移して改築されたもので[2]、二階建長屋と御成門が目立つ[1]

御成門は、近世には藩主や幕府及び各藩重要役人が利用したが、1876年明治9年)および1881年(明治14年)に明治天皇が東北地方巡幸の際に使用して以来、利用が禁じられて閉鎖されている[1]。藩主たちが利用した「上段の間」は床が他の部屋よりも一段高く、天井が高い竿縁天井で、縁に面した書院窓がつくという典型的な書院造りである[1]

また、延享元年の火災より現在まで200年以上の間災害などを免れてきたことから、『宿駅検断文書』・『本陣宿泊文書』・『佐藤家内文書』など本陣の経営や江戸時代当時の様子に関する史料が残されている[1]

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