旧・本堂とは? わかりやすく解説

旧・本堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 10:50 UTC 版)

橋林寺」の記事における「旧・本堂」の解説

1932年昭和7年)に竣工中村鎮設計小林工業施工地上1階地下1階建。 納骨堂として建築されたが、元の本堂空襲焼失したため、本堂改築された。

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旧本堂(薬師堂)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/13 06:55 UTC 版)

東禅寺 (今治市)」の記事における「旧本堂(薬師堂)」の解説

87 東禅寺本堂本薬師堂)一棟 所有者 東禅寺 所在地 愛媛県今治市蔵敷 指定年月日 明治37年8月29日 焼失年月日 昭和20年8月6日 構造形式三間単層屋根入母屋造本瓦葺 東禅寺薬師堂は、墨書によって永正15年1518)の建立であることが明らかである。昭和9年(1934)に解体修理が行われた。 堂は方三間唐様仏殿である。粽付円柱礎盤を置き、貫を通し台輪をのせ、出三斗詰組設け、大疎垂木二軒の上入母屋造本瓦葺屋根置いている。柱間装置をみると、正面中央桟唐戸両脇花頭窓と弓欄間側面中央間が花頭窓と弓欄間で他は板壁背面三間通しの庇が突出して、その中央間に桟唐戸を開く。内部前後に大虹梁かけわたしその上に蟇股置いて一間の板天井支える。この蟇股部からは側向かい海老虹梁かかっている。床は土間床来迎前に須弥壇造り、上に厨子を置く。厨子も堂と同時の作である。 この堂は唐様三間仏殿一つであるが、構架特異な手法見られる点、興味深いものであった。(戎光祥出版『【新版戦災等による焼失文化財 20世紀文化財過去帳文化庁編より抜粋

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