日韓国交回復以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 23:08 UTC 版)
日韓基本条約が締結されると、日本は韓国との国交を締結した。この中で日本政府は「韓国」を「朝鮮半島唯一の合法政府」としたため、北朝鮮との国交締結を求める朝鮮総連や日本社会党などの強い抵抗を受けたが、佐藤栄作政権は国会で強行採決をした。 この条約により日本は大韓民国の国籍を認定したため、在日韓国・朝鮮人の中には朝鮮籍からの切り替えを行う者が現れた。また、これを機に大韓民国は「韓国」という表記が一般に定着し、朝鮮民主主義共和国は「北朝鮮」と表記される例が増えた。 1970年、日本航空の航空機がハイジャックされる よど号ハイジャック事件が発生した。犯人は日本国内での革命運動に行き詰まった田宮高麿などの新左翼に属する共産主義者同盟赤軍派グループで、北朝鮮は彼らの亡命を受け入れる一方、機体や乗員の日本返還に応じた。田宮達の思想や行動方針は北朝鮮側とは一致しなかったが、田宮らは平壌郊外に小グループを形成し、北朝鮮の意を受けた対日宣伝・工作活動に従事した。 やがて冷戦がデタント期に入り、南北共同声明により韓国との対立がある程度緩和され、日本が中華人民共和国との国交を回復する中(日中国交正常化)、日朝関係も徐々に貿易額を拡大した。在日朝鮮人の集団帰国事業は、万景峰号による祖国・親族訪問へと変化して続いたが、北朝鮮帰国者の再訪日は認められなかった。
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