日記・日記文学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:13 UTC 版)
平安末から鎌倉時代初期にかけては、関白九条兼実の日記『玉葉』、内大臣中山忠親の日記『山槐記』などが著名である。ともに中央政界で重要な位置にあった人物の手になるものであり、内乱期の政治史にとって重要な史料となっている。幕府編纂の『吾妻鏡』は北条時頼の命令によるものであり、それ以前の幕府創業期の記述は少なからず誤りをふくんでいるほか、『平家物語』をはじめとする軍記物で記される事実とは多くの点で異なる叙述がなされているため、『玉葉』『山槐記』はこれらを補う文献資料としてよく用いられる。 藤原定家『明月記』は、1180年(治承4年)から1235年(嘉禎元年)まで56年の長きにわたってを漢文によって克明に記した日記であり、子孫にあたる冷泉家に歌道・書道の家の家宝として相伝されたものである。『新古今和歌集』成立期の資料としては他に源家長の『源家長日記』がある。 他に、『岡屋関白記』、『勘仲記』、『三長記』、『花園天皇宸記』、『伏見天皇宸記』、『平戸記』、『民経記』などの日記・日記文学があらわれた。女性の作品には、宮仕えの記録を主とする『建春門院中納言日記(たまきはる)』、『弁内侍日記』、『中務内侍日記』や、阿仏尼『十六夜日記』があり、後深草院二条(あかこ)の『とはずがたり』は赤裸々な愛欲生活と出家後の旅の描写に特徴があり、論者によっては中世最高の自伝文学との評価がある。発見が遅く、その意味では忘れられた名作と言ってよい。
※この「日記・日記文学」の解説は、「鎌倉文化」の解説の一部です。
「日記・日記文学」を含む「鎌倉文化」の記事については、「鎌倉文化」の概要を参照ください。
- 日記日記文学のページへのリンク