日本陶器設立
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このように経営を拡大する一方で、それまでの主力商品だった壺やコーヒーカップなど一点物の陶磁器だけでなく、百点近い皿・椀などからなるディナーセットの生産を目指して日本陶器合名会社(現在のノリタケカンパニーリミテド)を1904年に設立した。ディナーセットに用いる白色硬質磁器の開発は困難を極めたが、1910年に製作責任者に招きいれた江副孫右衛門の尽力などによって1914年についに完成し、7年後の1921年には対米輸出が6万セットを超えるまでになった。 従来からの一点物も輸出は順調であり、1914年日本の陶磁器輸出に占める日本陶器社製品の割合は40%以上となり、その後シェアは低下するものの金額は数倍に増えて1921年には会社の輸出額が1,000万円を超えた。また開発コスト負担の問題などから1909年に組織を見直し、日本陶器が生地を生産し、森村組は絵付けを担当、森村ブラザーズが営業・販売を行うこととなった。さらに1917年から翌年にかけてそれまでの森村組の事業と陶磁器以外の物品の輸出入を行う森村商事株式会社を設立し、森村組は持株会社となった。 この他、硬質磁器の製造技術を活かして1905年より高圧がいしの製造を始めて芝浦製作所(現:東芝)に納入し、没年の1919年には日本碍子株式会社として独立している。また、衛生陶器について1912年から研究を行い、1917年に東洋陶器株式会社(現:TOTO)を設立した。
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日本陶器設立
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株式会社ノリタケ九陶、株式会社ノリタケ伊万里、およびノリタケカンパニーリミテド・食器生産技術部の三者が統合して2000年(平成12年)4月1日に日本陶器株式会社が設立された。ノリタケカンパニーリミテドの前身名である「日本陶器」という名称を採用したのは、かつての食器事業の盛況を取り戻すという目標を表していたと言われる。この合併に伴い、絵付け用の転写紙の製造がノリタケカンパニーリミテド三好工場から日本陶器の伊万里、若宮事業所に移管された。これによってノリタケ本社は食器の製造部門を持たなくなった。 2001年(平成13年)9月28日には硬質陶器を製造していたノリタケ井出を吸収し、日本陶器の加賀事業所とした。現在、ノリタケグループの食器生産は日本陶器と大倉陶園、ノリタケフィリピン、ノリタケランカポーセレンの4社が担当しており、組織集約による合理化が進んでいる。 2009年(平成21年)10月1日、親会社であるノリタケカンパニーリミテドに吸収合併された。 この項目は、企業に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキプロジェクト 経済)。 典拠管理 NDL: 00644666 VIAF: 254175258 WorldCat Identities: viaf-254175258
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