百木三郎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 百木三郎の意味・解説 

百木三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/28 15:09 UTC 版)

百木 三郎(ももき さぶろう、1880年8月12日 - 1940年12月3日)は、日本の技術者実業家東洋陶器(現TOTO取締役社長を務めた。

人物・経歴

窯業家河原徳立の三男として東京深川に生まれる。順天求合社(現順天高等学校)を経て、1899年東京高等工業学校(現東京工業大学)窯業科卒業後、農商務省海外窯業練習生としてアメリカ合衆国に留学し、1903年コーネル大学大学院修了。父の親友だった大倉孫兵衛に雇われ、1904年の日本陶器設立時に同社入社[1][2]

日本陶器では解任された飛鳥井孝太郎の後任として技師長となり[3][4][5]、同窓の西山貞を招聘するなどして衛生陶器の開発にあたり[1][6]、"sanitary ware"の訳語として「衛生陶器」の語を考案するなどもした[7]。1925年東洋陶器取締役。1929年東洋陶器常務取締役。1939年東洋陶器取締役社長[8]

親族

父の河原德直は京都の元士族[9]。妻ミヤは日本陶器創業者大倉孫兵衛の四女で[10]大倉陶園代表取締役などを務めたデザイナーの百木春夫は三男[11]。長男の茂雄(1915年生)は九州大学工学部応用化学科卒業後、東洋陶器取締役などを務めた[12]。東洋陶器創立者の大倉和親は義兄(妻の兄)[9]

著書

  • 『面影』東洋陶器 1942年

出典

  1. ^ a b 口繪」『大日本窯業協會雑誌』 1941年 49巻 579号 p.Plate1-Plate2, 日本セラミックス協会, doi:10.2109/jcersj1892.49.579_Plate1
  2. ^ 明治期日本における「専門商社」の活躍企業家研究〈第2号
  3. ^ (現鳴海製陶)に移ってし当者となっていた江副らとて生地を 森村商事
  4. ^ 飛鳥井孝太郎 あすかいこうだろう鶴田 純久の章
  5. ^ ノリタケカンパニーの歴史日本ポーセリン協会
  6. ^ 【衛生陶器の開発―東洋陶器】ノリタケカンパニーリミテド
  7. ^ 【九州の礎を築いた群像】TOTO編(4)創業期(上)「衛生陶器の時代だ。この手で作るぞ」私財投じた親子鷹産経新聞2014.8.5 21:36
  8. ^ 「資料・主要参考文献・編集後記」『TOTO百年史』
  9. ^ a b 百木三郎『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
  10. ^ 平成20年度横浜錦絵からオールド・(1924年生)ノリタケへ-明治の起業家大倉孫兵衛の生き方と商売道に学ぶ-公益財団法人大倉精神文化研究所
  11. ^ 大倉陶園 |うまいもんドットコム
  12. ^ 有価証券報告書 東洋陶器、昭和42年2月23日
先代
大倉和親
東洋陶器社長
1939年 - 1940年
次代
森村茂樹



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「百木三郎」の関連用語

百木三郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



百木三郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの百木三郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS