日本コロムビア時代
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「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT」の記事における「日本コロムビア時代」の解説
1996年2月1日、日本コロムビア内のレーベルであるトライアドよりシングル「世界の終わり」にてメジャー・デビュー。1か月後の3月1日にメジャー初のアルバム『cult grass stars』をリリースした。1997年10月21日、シングル「バードメン」をリリース。「ぷらちなロンドンブーツ」のオープニングテーマにも起用されヒットする。 1998年8月には東京・豊洲で行われたフジ・ロック・フェスティバルに出演。激しいモッシュが巻き起こり安全のために何度か演奏が中断されるほどに白熱したライヴを披露した。同年11月に4thアルバム『ギヤ・ブルーズ』をリリース。直後、ホール・アリーナクラスでありながらオールスタンディング仕様で行われたツアー『WORLD PSYCHO BLUES TOUR』を実施。このツアーのファイナルの会場は横浜アリーナが選ばれ、横浜アリーナとしては前代未聞のオール・スタンディング・ライブを開催。チケットは即完売となり、観客の動員人数は延べ1万5000人であるとされている。当日観客席にいたロッキング・オン社長の渋谷陽一はこの光景を見て「音楽評論家を始めて30年、いつか日本にもこういう日が来るのではと夢見てきたが、本当に来た、と思わず涙ぐみそうになった」と心情を表した。 1999年、ツアーを終えたバンドは国内のみならずイギリスやアメリカも廻る『WORLD GEAR BLUES TOUR』を実施。その間にもRISING SUN ROCK FESTIVALおよび各種イベントに参加し精力的なライブ活動を展開した。2000年にはシングル『GT400』、アルバム『カサノバ・スネイク』のリリースを経て、ヨーロッパを廻る『TMGE EUROPE TOUR 2000』を実施。帰国後『WORLD CASANOVA SNAKE TOUR』を開催したが、ファンがペットボトルをステージ上に投げ入れるなどの妨害でにライブが中断するという逆境に数ヶ月間見舞われた。しかしツアー終了後の『FUJI ROCK FESTIVAL』では、二日目のグリーンステージのトリを飾る。その後、シングル『ベイビー・スターダスト』をリリース。 2001年3月1日、ザ・パイレーツのメンバーであるミック・グリーンの来日時にアベ、ウエノ、クハラの3人がセッション。その際にレコーディングした曲を「MICK GREEN with THEE MICHELLE GUN ELEPHANT」名義のシングル「KWACKER」としてリリースした。5月23日、6thアルバム『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』発売と同時に代々木公園にてフリーライブ『TMGE YOYOGI RIOT 2001523』を開催。当日の午前0時から会場の情報が解禁されたが、朝から体育館前には長蛇の列ができ、雨天の中2万人を動員しライブを成功させた。その後アルバムを引っさげて行われた全国ツアー『RODEO TANDEM BEAT SPECTER TOUR』は6月から11月までの間、国内32ヶ所で43公演をこなす長いツアーとなった。また、7月から8月にかけてはツアーと並行して全国のロックフェスにも出演。ツアー終了後は一時的に活動が休止され、ライブや作品発表が途絶える。休止中の2002年3月1日、DVD「GOD JAZZ TIME」がリリースされた。
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