日本の尺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 08:45 UTC 版)
日本には唐制が導入され、大宝元年(701年)の大宝律令で大尺・小尺を制定している。ただし異説もあり、日本には大宝令以前に高句麗から渡来した大尺より2寸長い高麗尺が普及していたので、これが大宝令の大尺とされ、唐の大尺が小尺にされたともいう。この説では、後に現れる曲尺1尺2寸の呉服尺は高麗尺に基づくものであるとする。また、新井宏は寺院等の実測分析から高麗尺ではなく0.268 mの尺が使用されていたという古韓尺説をとなえている。なお岩田重雄は、隋代に小尺となる尺が朝鮮において5世紀中頃には26 cm代に伸張し、その後約150年変化しないとし、それを新井宏が古韓尺と呼んでいると説く。唐の大尺は現在の曲尺で9.78寸(296.3 mm)であり、それ以来ほとんど変化していないことになる。 律令制崩壊後は、全国一律の尺は維持されなくなり、各地で様々な尺が使われるようになった。竹尺として代表的なものが京都系の「享保尺」であり、鉄尺の代表的なものが大坂系の「又四郎尺」である。享保尺は又四郎尺に対して0.347 %ほど長い。享保尺と又四郎尺を平均したものが折衷尺である。 明治に入り、政府は折衷尺を公式の曲尺として採用し、メートルの33分の10の長さ(約303.030 mm)と定めた。通常、単に「尺」と言えば曲尺の尺を指す。これに対して鯨尺(くじらじゃく)は、曲尺の1.25倍であり、約378.788 mm である。 1958年制定の計量法で尺貫法は計量単位としては廃止され、1966年4月1日からは商取引など(取引又は証明)における使用が禁止された。ただし、木造建築や和裁の分野での利用の便に資するため、尺・寸に変わるものとして、1/33 m(寸相当)や 1/26.4 m(鯨尺尺相当)の目盛りを付した「尺相当目盛り付き長さ計」(尺に当たる、メートル法による目盛りが付された物差し)が認められている。詳細は、尺相当目盛り付き長さ計を参照のこと。 なお、日本で販売されるコンパネや石膏ボードなどの規格は『定尺』と呼ばれ、かつての尺を基準とした寸法に由来している。例えば、寸法が 910 mm × 1820 mm の部材は3尺(約909.1 mm)× 6尺(約1818.2 mm)に近く、また、1220 mm × 2440 mm の部材は4尺(約1212.1 mm)× 8尺(約2424.2 mm)の寸法に近い。このことから、これら部材は現在でも、職人の間ではそれぞれ「サブロク」、「シハチ」などと言い慣らわされている。
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