日本における労働組合の歴史
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「労働組合」の記事における「日本における労働組合の歴史」の解説
労働組合は、職業別労働組合から出発し、一般組合を経て産業別労働組合へと発展していくのが、多くの先進工業国でみられた展開過程であったが、日本においては、職能別労働組合から企業別労働組合へという過程が特徴的である。 日本最初の労働組合は、アメリカ合衆国で近代的な労働組合運動を経験した高野房太郎や片山潜らによって1897年に結成された職工義勇会を母体に、同年7月5日に創立された労働組合期成会である。期成会の支援のもと、各地の職工たちは職業別組合を結成していった。しかし政府は1900年に治安警察法を制定し、労働者の団結を事実上禁止した。その後、日露戦争後の戦力増強に伴い各種の産業が興隆すると、大規模な労働争議や暴動、ストライキが発生した。中でも1921年の神戸における川崎造船所、三菱造船所における労働争議は大規模なもので、7月10日には約35,000人による大規模なデモ行進も行われた。これに対し兵庫県知事は軍隊の出動を要請し、7月14日には軍隊による争議団の検挙が始まった。7月29日には警察官の一隊がデモ隊を襲撃し死亡者も出た。会社は就業を再開し、多くの活動家を解雇したことで、この争議は労働者側の敗北に終わった。戦前の労働運動はその後労働者側の分裂、治安維持法の制定によりこれ以上の発展は見られなかった。一方、企業は労働組合の侵入を防ぐべく、日本的な労使関係として、労使の意思疎通機関としての工場委員会、新規学卒者を自社で技能養成を行う企業内技能養成制度、訓練した熟練工の企業への定着を狙う勤続昇給(年功賃金)が1920年代に大企業を中心に形成されていった。 第二次世界大戦後、労働組合が次々と結成される。全日本産業別労働組合会議(産別会議)が全国的な運動を展開する。しかし、二・一ゼネストがアメリカ占領軍の命令によって中止を余儀なくされると、産別会議から離脱した多くの組合が企業別組合主義の総評に包摂され、戦後の労働組合は企業別組合が本流となっていく。
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