日本におけるダダとは? わかりやすく解説

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日本におけるダダ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 14:14 UTC 版)

ダダイスム」の記事における「日本におけるダダ」の解説

1920年大正9年)『万朝報8月15日号に記事ダダイスム一面観」が掲載される高橋新吉1921年大正10年11月辻潤宅を訪問しダダについて辻に教示し、辻はダダイスト名乗るうになる1922年大正11年12月ダダイズム』を 吉行エイスケ発刊。。翌年1923年大正12年1月には萩原恭次郎壺井繁治岡本潤川崎長太郎らが『赤と黒』を創刊同年2月には 高橋詩集ダダイスト新吉の詩」(中央美術社)を発表する(辻が編集した)。「DADA一切断言し否定する」で始まる。同年7月には村山知義柳瀬正夢尾形亀之助らがMAVO結成し翌年6月には『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』が玉村善之助橋本健吉、野川隆らによって創刊される。日本では1922年大正11年)から1926年大正15年)がダダ運動のピークとなったダダイスム以降も、中原中也坂口安吾宮沢賢治など広範にわたって影響与えた辻潤 - 高橋よりダダイスム運動知り、自らをダダイスト名乗る。 『ダダイズム』(1922年12月-1923年?) - 吉行エイスケ発刊。 『赤と黒』(1923年1月-1924年6月) - 萩原恭次郎壺井繁治岡本潤川崎長太郎林政雄、小野十三郎など 高橋新吉 - 1923年詩集ダダイスト新吉の詩」(中央美術社)ほか。 MAVO1923年7月-1925年) - 村山知義柳瀬正夢尾形亀之助大浦門脇晋郎の五名代表メンバー高見沢路直(田河水泡)ものちに参加。 『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』(1924年6月-1926年1月) - 編集人玉村善之助橋本健吉、野川隆北園克衛稲垣足穂村山知義らも寄稿した中原中也 - 高橋新吉影響を受け、「ノート1924」に、46篇のダダ的な作品を記す。 陀田勘助- 栃木県生まれ本名山本忠平。1922年村松正俊と詩誌「ELEUTHERIA」、翌年から一年間は「鎖」、さらにその後継誌「無産詩人」を発刊した1925年アナーキズム系の詩誌「黒畑」を編集労働運動加わり1928年から共産党員となる。翌年検挙され獄中から書簡に詩を書き続けたが、原因不明獄死遂げた1963年渋谷定輔編『陀田勘助詩集』(国文社)が出版された。 北園克衛 坂口安吾 - ヴィトラックやツァラの詩を翻訳戦後は、1960年代ネオダダ標榜して高松次郎赤瀬川原平中西夏之らによるハイレッド・センターが「東京ミキサー計画」などのハプニングイベントを遂行した(→ネオ・ダダイスム・オルガナイザーズ)。 なお、『ウルトラマン』登場した三面怪人ダダネーミングは、ダダイスム由来するという。ブルトンにちなむ「ブルトン」の名を持つ怪獣ウルトラマン登場している。

※この「日本におけるダダ」の解説は、「ダダイスム」の解説の一部です。
「日本におけるダダ」を含む「ダダイスム」の記事については、「ダダイスム」の概要を参照ください。

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