日本におけるチェアスキー開発の歴史
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「チェアスキー」の記事における「日本におけるチェアスキー開発の歴史」の解説
日本においては神奈川県の福祉関係者が、車椅子使用者にもスキーを楽しんでもらうために研究を始めたのが開発のきっかけとなった。また1998年に長野県で開催された長野パラリンピックにおいて、日本選手が使う用具を産学官共同で開発に当たったことが、世界的にも高いレベルを維持できている要因である。 1975年 開発開始 1980年 1型機 1984年 2型機/制動用のハンドブレーキなど過剰な装備を取り除いた。また、アウトリガーを採用し、シートとスキーの連結部分にショックアブソーバーも取り付けられた。 1987年 3型機/チェアリフトへの乗降が可能となったが、いったんリフトを止める必要があった。 1988年 インスブルックパラリンピック開催。銅メダル2個を獲得。 1990年 4型機/高速な滑降が可能となり、競技会への参加も可能となった。 1992年 アルベールビルパラリンピック開催。銅メダル2個を獲得。 1994年 リレハンメルパラリンピック開催。銀3、銅3の好成績を収める。 これとは別に、1980年頃から北海道札幌市の北海道立肢体不自由者訓練センター(当時、現在の北海道立子ども総合医療・療育センター)の職員によって、神奈川県の施設にて作られていたチェアスキーを参考に、壊れた椅子・パイプ・不要のスキー板といった廃物利用品にバイクのショックアブソーバーを組み合わせ、ターンを可能として非常用ブレーキも備えた3本スキータイプの、現在のチェアスキーに通ずるそりが考案・試作されており、1982年(昭和57年)2月13日に全道ハンディキャップスキー大会会場となった北見市の北見若松市民スキー場で完成品2台の披露と試乗会が行われ、参加者や試乗体験者からかなりの好評を得ていたという。
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