日本におけるチーズの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 01:21 UTC 版)
「チーズの歴史」の記事における「日本におけるチーズの歴史」の解説
日本列島では古墳時代後期には家畜としての牛が伝来している。日本では牛は農耕や食肉用・牛皮・牛角の利用が主要な目的で、牛乳を搾るという文化はなかったと考えられている。 中国大陸から乳製品が持ち込まれ、献上された朝廷で歓ばれるということはあり(「醍醐」の項参照)。古代には東国においても多くの牛が飼育され、『延喜式』によれば東国すべての国で蘇が貢納されている。中世には東国では牛の飼育が減少し、台頭した武士が牛よりも馬を重視したため、乳製品を利用する文化が育まれないままだった。 江戸時代には牛乳の利用に関する記録が見られる。18世紀には薬品としてバターに似た「白牛酪」が作られ、庶民が手にすることもあった。さらには「白牛酪考」という書物が著され、1866年の「西洋事情」でもチーズが紹介されるなどしたが、明治期まで本格的に普及はしていない。 その後北海道や樺太などで開拓事業が進んで酪農家が数を増し、その流れでチーズづくりも土台が整えられた。20世紀はじめには北海道北斗市のトラピスト修道院や房総でのチーズ工場建設を指導したドイツ人技師など外国人も大きな役割を果たし、1930年代には日本でも本格的なチーズの工業生産が始まっていくのである。
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