日本でのVIC-1001
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 16:17 UTC 版)
「VIC-1001」の記事における「日本でのVIC-1001」の解説
VIC-1001は、コモドール社が初めて100%日本で設計開発製造したコンピューターであり、1980年12月に69,800円で発売された。当時発売されていた日本製パソコンが専用ディスプレーが必要だったのに対して、家庭用テレビに繋げる廉価だったことも手伝い、黎明期のパソコン市場で一定の支持を受けた。 同等価格帯の他社パソコンの多くが、安価なゴムやビニール製の消しゴムキーボードを供えていたのに対し、VIC-1001 のキーボードはフルサイズのプラスチック製キートップを持っていたことも評価され、中学・高校などのパソコン教材用として導入されるケースも少なくなかった。当時、タイプライターに馴染みのない日本人がいかにしてキーボードに慣れるかが大きな問題と考えられており、パソコン教室にはキーボード打ち方教室という意味合いも強かった。 一方で翌年の11月にNECが89,800円でPC-6001を発売。2万円の価格差があったが、VIC-1001の内蔵RAMは少なく、増設して使用するのが一般的で、実際の購入時の価格は大差なかった。さらにVIC-1001は標準ではBASIC命令でのハイレゾグラフィック描画、音楽演奏、ファンクションキーへのコマンド登録などがサポートされておらず、これらの機能を追加するには、別売のスーパーエクスパンダーも購入する必要があった。カートリッジスロットによるゲーム供給(あまり活用されなかった)、ジョイスティックポート、サウンド機能、家庭用テレビをモニターにできるといった機能が共通であり、ホビー向けパソコンというPC-6001の位置付けはVIC-1001と競合する。テレビコマーシャルを放送し、NECの流通ルートと新日本電気の家電ルートで幅広くセールスされたPC-6001の前に、VIC-1001は瞬く間に市場を奪われた。 後に49,800円に値下げされたが、当時のパソコンはゲーム機としての需要が大きかった。他の国産ホームコンピューターが、パソコンショップの市販ソフトやパソコン雑誌にゲームのプログラムが掲載されているのに対して、VIC-1001は日本国内市場ではコモドールジャパンのカートリッジ供給の数本のゲームしかなく、値下げによってシェアを獲得することは出来なかった。 さらにコモドールジャパンが1982年の末、VIC-1001と互換性がないコモドール64を99,800円で発売。これはRAMを64KB搭載し、スプライト機能も有する機種である。同時にキーボードを搭載するがゲーム専用機の色彩の濃い(いわゆるゲームパソコン)MAX MACHINEが34,800円で登場した。コモドール64とMAX MACHINEのゲームカートリッジは互換性があり、これによりVIC-1001は商業的に終了した。 尚、当時、コモドールジャパンの下請けとしてコモドールブランドのゲームを開発していたのはHAL研究所である。HAL研究所は設立わずか7ヶ月、メインプログラマーは当時大学生のアルバイトで後に任天堂の社長となる岩田聡であった。HAL研究所の製作したゲームはほとんどが既存ゲームの海賊版であった。中でも『パックマン』はアメリカ本国でリリースされた際、ナムコより正当なライセンスを受けていたAtari社の権利を侵害していたために訴えられて発売中止となるという騒動を起こしたが、2年後にAtariから出た純正のVIC-20版『パックマン』や、アタリショックの引き金の一つともなったクソゲーとして知られるAtari 2600版『パックマン』等よりも高い完成度を評価され、HAL研究所は後継機のマックスマシーン・コモドール64でも引き続き下請けとしてコモドールブランドのゲームの製作を担当することとなる。
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