日本での大流行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 13:58 UTC 版)
江戸時代中期ごろに中国から伝来した長崎で流行、享保年間初期には京坂で売られ、やがて江戸でも流行した。当時は手車、釣り独楽と呼ばれた。 1933年(昭和8年)、洋行帰りの教員がアメリカ土産として持ち帰り再流行した。いわゆるモダンボーイやモダンガールと呼ばれた者が楽しんでいたが、訓練を要さず誰でも手軽に楽しむことができたので、サラリーマンや学生の間にも広まり、大阪でヨーヨーの競技大会と思しきイベントが開催されるなど、老若男女の別なくヨーヨーを持ち歩くようになった。同年、東京・日比谷にあった仮国会議事堂を警備哨戒中の一警邏が、職務中にヨーヨーで遊んでいたとして「職務怠慢」による懲戒免職に処せられた。弘文社(大阪市にある同名の弘文社とは異なる)より、ヨーヨーの歴史や遊び方、実際のトリックを解説した専門書『ヨーヨーの競技と遊び方』が出版されている。翌年初夏には既にブームが沈静化している。 銀座の歩道からゴミゴミした夜店が一掃されて大變さつぱりしたと思つてゐると、今度はその代り、大人や子供のヨーヨー賣りが幾人も出て來てその「妙技」を競ひはじめ、暇な見物人がそのまはりにたかつて、歩く人間の邪魔をしてゐる。 — 板垣鷹穂、『観想の玩具』 戦後の日本では、1970年代にコカ・コーラの販促品をきっかけにした第三次ブーム(コカ・コーラの認証を受けた物には「GENUINE RUSSELL YO-YO」(真正ラッセルヨーヨー)の文字が印刷されていた)、1980年代にスケバン刑事による第四次ブーム、1990年代にバンダイのハイパーヨーヨーによる第五次ブームが起きている。
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