新潟駅設置に至るまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:18 UTC 版)
現在の新潟市域で最初に開業した鉄道駅は、中蒲原郡沼垂町竜が島(現:新潟市中央区沼垂東・竜が島付近)に設けられた沼垂駅で、1897年(明治30年)11月20日に開設された。 当時、信濃川を挟んで左岸の新潟市と、右岸の沼垂町とは鉄道の敷設で壮絶な誘致合戦を繰り広げたが、当時の信濃川の川幅は約1kmと広く、鉄橋の建設に莫大な資金がかかることがネックとなり、信濃川右岸の萬代橋東詰付近の沼垂町流作場(りゅうさくば。現在の新潟市中央区万代・弁天・八千代付近)に「新潟駅」を設けるという折衷案で一旦は合意した。 しかし北越鉄道は地代が高いことを理由にこれを事実上拒否し、竜が島に設けた「沼垂駅」を終着駅とした。新潟市側ではこれに対する反対運動が起こったものの、政府の認可が下りたことから紛糾を極め、市側の「鉄道同志会」の構成員の一部が行動を過激化。沼垂駅を評価する人を襲撃する騒ぎを起こし、更には同年11月16日の鉄道開業予定日を控えた11月11日の早朝、沼垂駅構内の機関庫と貨物庫、新栗ノ木川の鉄橋に爆弾を仕掛け、爆破する騒動にまで発展した。幸い損害は軽度で済み、開業が4日遅れただけで運行等には大きな支障はなかった。 その後も市民の鉄道誘致運動が続き、それが結実して1904年5月3日、当時の新潟市中心部により近い現在の中央区弁天一丁目、弁天公園付近にあたる位置に開業したのが、初代の新潟駅である。 新潟駅がかつてあった場所には弁天公園があり、明治40年3月6日にこの地に新潟市で初めて公衆電話が設置された場所として碑が建てられている。 1925年に策定された「新潟市都市計画」では、架け替えを予定していた萬代橋を経由する路面電車(後の新潟交通電車線にあたる)を駅前に乗り入れるという計画も盛り込まれた。 1935年には、木造2階建ての2代目駅舎に建て替えられた。 1930年頃の新潟市の地図初代新潟駅の位置と当時の線路位置がわかる。後に現在の越後線関屋駅 - 新潟駅間の線路となる貨物支線はまだない。 初代新潟駅舎と駅前広場。昭和戦前期の撮影。 旧新潟駅所在地。現在の新潟東映ホテル、弁天公園などの付近にあたる。(写真は新潟東映ホテル駐車場。後方は代々木ゼミナール新潟校) 新潟市の変遷 弁天公園内にある「公衆電話発祥之地」碑
※この「新潟駅設置に至るまで」の解説は、「新潟駅」の解説の一部です。
「新潟駅設置に至るまで」を含む「新潟駅」の記事については、「新潟駅」の概要を参照ください。
- 新潟駅設置に至るまでのページへのリンク