文川郡とは? わかりやすく解説

文川郡(~1972年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 15:54 UTC 版)

文川市」の記事における「文川郡(~1972年)」の解説

紀元前2世紀 - 臨屯郡邪頭味県が置かれる高句麗 - 広開土王のころ、買溝婁と呼ばれる高麗 - 洙城、伊均などと呼ばれる文州防禦使が置かれる1413年 - 文川郡に改称される1914年4月1日 - 郡面併合により、咸鏡南道文川郡に以下の面が成立。(5面)郡内面・都草面・明孝面・亀山面・雲林1936年 (1邑3面)郡内面および都草面の南部合併し文川面が発足都草面が川内邑に昇格。 明孝面・亀山面が合併し明亀面が発足1942年4月 - 徳源郡上面・豊下面府内面・北城面および赤田面・県面の各一部編入。(1邑9面)府内面が徳源面に改称1943年 - 元山府一部赤田面に編入。(1邑9面) 1946年9月 - 江原道拡大により、江原道文川郡となる。(8面)北城面が文川面に編入文川面の一部分立し、文城面が発足川内邑が川内面に降格赤田面・県面および徳源面の一部元山市編入1952年12月 - 郡面里統廃合により、江原道文川郡文川面・文城面・徳源面および明亀面・雲林面の各一部地域をもって、文川郡を設置。文川郡に以下の邑・労働者区・里が成立。(1邑2労働者区24里)文川邑・柯坪里・新安里・龍灘里・庫巌里・新里・玉坪里・富方里城里・三和里・龍井里・松竹里・南昌里・徳源里・浮雲里・石峴里・新城里・竹山里・永三里・長里・徳興里・石田里・三一里・畓村里・参洞里・野労働者区・佳銀労働者区 1953年12月 (1邑2労働者区24里)城里の一部が玉坪里に編入松竹里の一部川内郡長豊里に編入1958年6月 - 野汰労働者区が文坪労働者区改称。(1邑2労働者区24里) 1961年12月 - 徳源里・浮雲里・石峴里・長里が元山市編入。(1邑2労働者区20里) 1967年10月 - 玉坪里が玉坪労働者区昇格。(1邑3労働者区19里) 1972年7月 - 文川郡廃止文川邑・文坪労働者区・玉坪労働者区・佳銀労働者区柯坪里・南昌里・城里・龍井里・富方里・龍灘里・庫巌里・新安里・参洞里・三一里・畓村里竹山里・新城里・永三里元山市編入徳興里・石田里・三和里・松竹里・新里が川内郡編入

※この「文川郡(~1972年)」の解説は、「文川市」の解説の一部です。
「文川郡(~1972年)」を含む「文川市」の記事については、「文川市」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「文川郡」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「文川郡」の関連用語

文川郡のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



文川郡のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの文川市 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS