文川郡(~1972年)
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紀元前2世紀 - 臨屯郡邪頭味県が置かれる。 高句麗 - 広開土王のころ、買溝婁と呼ばれる。 高麗 - 洙城、伊均などと呼ばれる。文州防禦使が置かれる。 1413年 - 文川郡に改称される。 1914年4月1日 - 郡面併合により、咸鏡南道文川郡に以下の面が成立。(5面)郡内面・都草面・明孝面・亀山面・雲林面 1936年 (1邑3面)郡内面および都草面の南部が合併し、文川面が発足。 都草面が川内邑に昇格。 明孝面・亀山面が合併し、明亀面が発足。 1942年4月 - 徳源郡豊上面・豊下面・府内面・北城面および赤田面・県面の各一部を編入。(1邑9面)府内面が徳源面に改称。 1943年 - 元山府の一部が赤田面に編入。(1邑9面) 1946年9月 - 江原道の拡大により、江原道文川郡となる。(8面)北城面が文川面に編入。 文川面の一部が分立し、文城面が発足。 川内邑が川内面に降格。 赤田面・県面および徳源面の一部が元山市に編入。 1952年12月 - 郡面里統廃合により、江原道文川郡文川面・文城面・徳源面および明亀面・雲林面の各一部地域をもって、文川郡を設置。文川郡に以下の邑・労働者区・里が成立。(1邑2労働者区24里)文川邑・柯坪里・新安里・龍灘里・庫巌里・新松里・玉坪里・富方里・橋城里・三和里・龍井里・松竹里・南昌里・徳源里・浮雲里・石峴里・新城里・竹山里・永三里・長林里・徳興里・石田里・三一里・畓村里・参洞里・野汰労働者区・佳銀労働者区 1953年12月 (1邑2労働者区24里)橋城里の一部が玉坪里に編入。 松竹里の一部が川内郡長豊里に編入。 1958年6月 - 野汰労働者区が文坪労働者区に改称。(1邑2労働者区24里) 1961年12月 - 徳源里・浮雲里・石峴里・長林里が元山市に編入。(1邑2労働者区20里) 1967年10月 - 玉坪里が玉坪労働者区に昇格。(1邑3労働者区19里) 1972年7月 - 文川郡廃止。文川邑・文坪労働者区・玉坪労働者区・佳銀労働者区・柯坪里・南昌里・橋城里・龍井里・富方里・龍灘里・庫巌里・新安里・参洞里・三一里・畓村里・竹山里・新城里・永三里が元山市に編入。 徳興里・石田里・三和里・松竹里・新松里が川内郡に編入。
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