川内郡とは? わかりやすく解説

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川内郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/07 08:35 UTC 版)

川内郡
位置
各種表記
チョソングル: 천내군
漢字: 川內郡
片仮名転写: チョンネ=グン
ローマ字転写 (MR): Ch'ŏnnae kun
統計
行政
国:  朝鮮民主主義人民共和国
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川内郡(チョンネぐん)は朝鮮民主主義人民共和国江原道に属する郡。

地理

北朝鮮統治下の江原道北端に位置し、南は文川市法洞郡、北は咸鏡南道高原郡に挟まれた細長い郡域を持つ。西は平安南道陽徳郡と接し、東でわずかに日本海の海岸線を持つ。

中部を江原線の鉄道が南北に貫いている。郡の西部は山岳地帯が占め、最高峰は西南部の頭流山(1324m)。

行政区画

1邑・3労働者区・15里を管轄する。

  • 川内邑 チョンネウプ
  • 龍潭労働者区 リョンダムノドンジャグ
  • 新山労働者区 シンサンノドンジャグ
  • 禾羅労働者区 ファラロドンジャグ
  • 亀浦里 クポリ
  • 錦城里 クムソンニ
  • 堂致里 タンチリ
  • 大洋里 テヤンニ
  • 東興里 トンフンニ
  • 蘆雲里 ロウンニ
  • 龍楼里 リョンヌリ
  • 勝戦里 スンジョンニ
  • 新巌里 シナムニ
  • 新興里 シヌンニ
  • 塩田里 ヨムジョンニ
  • 仁興里 イヌンニ
  • 長豊里 チャンプンニ
  • 豊田里 プンジョンニ
  • 会福里 フェボンニ

歴史

1945年8月時点で咸鏡南道文川郡の一部であった。1946年、文川郡は江原道に移管される。1952年12月、文川郡川内面・明亀面・雲林面一帯が川内郡(1邑20里)として編成された。

年表

この節の出典[1]

  • 1952年12月 - 郡面里統廃合により、文川郡川内面・明亀面・雲林面の各一部地域をもって、川内郡を設置。川内郡に以下の邑・労働者区・里が成立。(1邑1労働者区18里)
    • 川内邑・龍潭里・龍楼里・蘆雲里・禾羅労働者区・新興里・長豊里・豊田里・水峙里・錦城里・塩田里・堂致里・亀浦里・新巌里・新山里・東興里・仁興里・勝戦里・亀徳里・会福里
  • 1953年12月 (1邑1労働者区17里)
    • 亀徳里が会福里に編入。
    • 文川郡松竹里の一部が長豊里に編入。
    • 咸鏡南道高原郡円峯里の一部が龍楼里に編入。
    • 亀浦里の一部が咸鏡南道高原郡下坪里に編入。
  • 1961年 (1邑2労働者区16里)
    • 新山里が新山労働者区に昇格。
    • 新興里の一部が川内邑に編入。
  • 1972年7月 - 文川郡三和里・松竹里・新松里・徳興里・石田里を編入。(1邑2労働者区21里)
  • 1972年11月 - 龍潭里が龍潭労働者区に昇格。(1邑3労働者区20里)
  • 1974年5月 (1邑3労働者区22里)
    • 咸鏡南道高原郡豊南里・箭灘里・円峯里・松興里および楽泉里の一部を編入。
    • 石田里・徳興里が元山市に編入。
    • 楽泉里が豊南里に編入。
  • 1976年6月 - 三和里・松竹里・新松里が新設の文川郡に編入。(1邑3労働者区19里)
  • 1981年8月 - 豊南里・箭灘里・円峯里・松興里が咸鏡南道高原郡に編入。(1邑3労働者区15里)
  • 1991年11月 - 水峙里が大洋里に改称。(1邑3労働者区15里)

交通

脚注

外部リンク




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