文帝の即位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 16:28 UTC 版)
永初元年(420年)、東晋の有力者であった劉裕は恭帝から禅譲を受けて武帝として即位し、南朝宋を建国した。武帝は在位2年後の永初3年(422年)に崩御した。武帝の死後、長男の少帝が承継したが、少帝は遊興に耽って節度が乏しかったために宋は乱れ、滑台・虎牢などの領土が北魏に奪われた。このため元嘉元年(424年)に徐羨之・傅亮・謝晦らによって廃位され、第3代皇帝には弟の文帝が擁立された。文帝は先帝を廃立した徐羨之ら3名を殺害し、名門貴族の王華・王曇首・殷景仁らを重用して政務を行なった。
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