文展出品から結婚まで
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1908年(明治41年)10月開催の第2回文展に「秋」を出品した。この頃より黄色の色彩に関心を示すようになる。同年溜池白馬会研究所に入所、人体の研究も進めた。翌1909年(明治42年)第3回文展出品作「放牧」は李王家の買い上げとなった。1910年(明治43年)第4回文展出品作「飼はれたる山羊」は三等賞となったが1911年(明治44年)第5回文展「朝の牧場」が落選、落選させた審査員への抗議の意味を込めて本郷春木町の仏教会館(後の本郷絵画研究所)で初の個展を開催した。 1910年(明治43年)2月に津田青楓、橋本邦助、柳敬助らと上林温泉へ、1912年(明治45年)4月には青山熊治と犬吠埼へ、また1912年(大正元年)7月には単身相模吉浜へと写生旅行に赴いている。 私生活では師のひとり岡田三郎助夫妻の媒酌により1912年(大正元年)9月22日に渡辺岩次郎の娘と結婚した。翌月10月の第6回文展に「無花果畑」を出品、再度三等賞を受賞、この作品は今村繁三により300円で売約となった。この年、第2回個展を赤坂三会堂で開催した。
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