文射的側面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 02:10 UTC 版)
文射とは礼射ともいい、弓射の儀礼としての側面である。射は古代中国において 六芸の一つに数えられ、貴族層に必須の素養とされた。論語には「君子は争う所なし。必ずや射か。揖譲して升り、下りて飲ましむ。その争いや君子なり。」とあるなど、支配者層の弓射が文化的・儀礼的性格を強く持っていた。 こうした弓射思想は古くから日本にも伝わり、その後も一貫して存在し続け、現代の弓道の思想にまで大きな影響を与えている。 朝廷では天智朝(7世紀後半)には既に年中行事として大射(射礼〈じゃらい〉)が行われる など、種々の“儀礼の射”(「礼射」)が行われた。 武家社会においては、弓射の実利的側面が重視されたのは当然であるが、同時に儀礼的側面も重んじられ、公家の弓射儀礼を基礎としつつ 様々な礼式が発達した。特に年初の的始(後には射礼と称された)は重要とされた。こうした礼式には逸見・武田・小笠原・伊勢・吉良などの家々に独自の伝があったという。室町時代中期以降は京都小笠原氏が武家故実の中心となった。 その伝統を受け継ぐ小笠原流は武家社会での礼式に則った射の流れを汲む流派であり、今日の弓道で「礼射系」といえば、小笠原流に由来する作法や射法のことをいう。
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