文室浄三説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 09:23 UTC 版)
文室浄三は薬師寺の仏足石の発願者である(#仏足跡信仰の日本への伝来を参照)。井上通泰は、歌の作者について、「おそらくは文室浄三である。」とし、それについて次のように述べている。 21首中に、その歌を作った人は、やがて仏足石を作った人であると思わせる歌が数首ある。なかでも、3番歌の「御跡すらをわれは得見ずて石に彫りつく」という箇所である。(趣意) 21首中に傑作がないことと、浄三が作家でないこととは、相照らして浄三の作とすべき証左である。(趣意) では作家でない浄三が、なぜ仏足跡歌体という歌体を創ることができたのか。『万葉集』巻5に、山上憶良がその歌体で詠んだ歌がある。浄三は先輩の憶良を真似たのであり、浄三の創意ではない。(趣意) 児山信一と北里闌も歌の作者を文室浄三としている。
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