文化と芸術 - 観光文化としての伝統文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 05:18 UTC 版)
「バリ島」の記事における「文化と芸術 - 観光文化としての伝統文化」の解説
先に見たように島南部を中心として土地が肥沃であったことから、昔からバリの人々は余裕を持った生活を送ることができた。そこで、農民は朝夕それぞれ2、3時間働くと、その日の残りは絵画、彫刻、音楽、ダンスなどの創作活動に当てるなど、美術・芸術活動にも勤しんでいた。 バリの美術には、古くからのインド的性格が残存しており、時代が新しくなるにつれ、バリ島独自の土着的な性格が強くなっていく。インド色の濃い遺品として、例えば、ペジュン出土の粘土製の奉納板(8世紀頃)にはインドのパーラ朝美術を思わせる仏教尊像が描かれている。さらにインド・ヒンドゥーの石彫であるドゥルガー像(11世紀頃)が傑作として挙げられる。 ただし、今日のバリで見られる、とりわけ観光客向けの芸能・美術のほとんどは、1920年代以降のオランダ植民地時代以降の歴史のなかでバリを訪れた欧米人との共同作業によって構築されたものである。そして、これらの文化芸能は、当時の欧米人によっても、また戦後のインドネシア政府によっても、さらには大衆観光客によっても、バリの「伝統文化」として表象され、「ツーリスト・パフォーマンスが、いまやバリの伝統として認められている」。今日のバリの「伝統文化」は「観光文化」にほかならないのである。 さらに、スハルト体制崩壊後は、分権化の流れの中で、地域自治の確立を目指す動きがインドネシア社会全体でみられるようになり、バリでは、その一環として地域文化の振興が掲げられ、『バリポスト』を中心として、バリTVが創設されるなど、アジェグ・バリの運動が起きている。もちろん、現在のバリでも近代的な西洋文化を巧みに取り込み続けており、街では携帯電話を手にメールを打つ姿なども多く見られるし、また、島民の移動手段は主にオートバイとなっている。
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