文化と左右
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 08:43 UTC 版)
文化によっては、左と右に優劣や貴賎の意味を持たすことがある。 古代インドの礼法では右回りを吉、左回りを不吉とした。インドを発祥とする仏教にも右旋を優位とする礼法が多く見られ、仏教圏の文化に影響を与えている。また、古代中国では北辰信仰が盛んであり、北極星を中心に左旋回する天体の運行を人間の方位観に当てはめ、南面する天子を中心とした秩序を構成した。 一方、老子や道教では「吉事尚左、凶事右」として主に左が貴ばれた。中国では時代によって左右の貴賎が変わり、時代順に周は左を貴び、戦国・秦・漢は右を、六朝・隋・唐・宋は左を、元は右を、明・清は左を貴んだ。これについて、左を賎しめ右を貴んだ時代は荒れ乱れた世が多く、「君子、居れば則ち左を貴び、兵を用うれば則ち右を貴ぶ」という老子の言葉の通りである、とする見方がある[要出典]。 奈良時代から平安時代にかけての日本は、中国の歴代王朝の中でも特に左を貴んだとされる唐の影響を強く受けていたため、当時の日本では右大臣よりも左大臣が貴い地位であった。 漢の時代の中国では、官吏を賎い地位に下げることを「左遷」と表現していた(『漢書』周昌伝)。現在の日本でも、会社員や公務員の地位を下げたり条件の悪い勤務地へ強制的に転勤させることを「左遷」(させん)と言うが、この言葉は現代中国語の語彙としては消滅している。
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