隋唐宋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 16:35 UTC 版)
隋の文帝の開皇9年(589年)、もとの蕪湖城は廃止され、当塗県に属する鎮とされた。唐もこれを踏襲した。 五代十国時代の南唐の昇元年間、蕪湖県は復活し、江寧府に属するようになった。これ以後蕪湖県は後代まで存続した。 宋の太祖の開宝8年(975年)、蕪湖は宣州に属するようになった。太平興国2年(977年)には太平州(現在の当塗県)に管轄を替えられた。以後中華民国の時代になるまで、蕪湖県は太平(元代には太平路に、さらに太平府となり、明清代には太平府となった)に属する県であった。 宋代には蕪湖に城壁が築かれたが、後に兵火で破壊された。
※この「隋唐宋」の解説は、「蕪湖市」の解説の一部です。
「隋唐宋」を含む「蕪湖市」の記事については、「蕪湖市」の概要を参照ください。
- 隋・唐・宋のページへのリンク