隋唐府兵制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 19:30 UTC 版)
西魏から禅譲を受けた北周、更に北周から禅譲を受けた隋の時代に兵民籍の区別を廃止して一般民戸とし、唐がそれを受け継いだ。 唐における府兵制は成人男子(21歳 - 59歳)を対象に3人に1人の割合で徴兵し、折衝府と呼ばれる部署に集められ、1年に1~1回、1ヶ月間国都の衛士の勤務 、3年間、防人として辺境の防衛にあたらせた。 折衝府は全国に600が存在していた。所属する兵員によって上中下があり、元は上が1000・中が800・下が600であったが、後に増員されて上が1200・中が1000・下が800となっている。10人で1火、5火で1隊、4隊で1国となっており、それぞれの指揮官は火長・隊正・校尉・折衝都尉と呼んでいる。600×1000=60万が唐の兵力ということになる。もちろん防衛のための兵士であるから稼動兵力はこれを下回るので、遠征軍を編成するときには臨時に募兵が行われる。これは「行軍」と呼ばれ、府兵の諸物資が自前に拠ったのに対してこちらは官給であった。
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