教皇不可謬の例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/07 14:12 UTC 版)
カトリックについてよく知らない人々だけでなく、カトリック信徒の間ですら教皇不可謬が誤って理解されている例がしばしば見られる。それらの人々が抱く最もポピュラーな誤解は、「教皇の言葉は何でもかんでも誤りがなく、反論できないものだ」といったものであることが多い。しかし、教皇不可謬とは上述のように厳しい要件を付された上で宣言されるものであり、このような見方は決して正しいとはいえない。また、実際には教皇の不可謬権が行使された例は極めて稀であり、これからもめったにないであろうと、考えられている。 1854年の教皇ピウス9世の「聖母の無原罪の御宿り」の教義の布告(これは第1バチカン公会議以前のものであり、遡及適用された)と、1950年のピウス12世の「聖母の被昇天」の教義の布告の二例に関しては、教皇不可謬権を伴って宣言されたものであると多くの神学者たちから見なされている(なお、どちらも突然宣言されたものではなく、古代以来、カトリック教会において伝統的に尊重されてきた教えであった。ただし、正式に教義としての宣言を受けていなかっただけであると、されている)。 しかしこのわずか二例を除けば、近代以降の教皇の文書や布告において教皇不可謬権を行使して宣言されたものはない、というのが多くの神学者たちの共通した見解である。なお、神学者クラウス・シャッツの1985年の見解、及び同じくフランシス・サリバンの1995年の見解によれば、上記の二例以外に五つの文書において教皇の不可謬権の行使が行われている、とされている。 バチカン自身は、どの布告が教皇不可謬権を行使して宣言されたかということを公式に宣言しているわけではない。1998年に当時の教理省長官であったヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿(のちの第265代ローマ教皇ベネディクト16世)及び同省局長タルチジオ・ベルトーネ枢機卿によって示された注釈には、教皇と公会議による決定のうちで不可謬であると、みなされるもののリストが示されているが、そこにおいても「これは完全なものでない」と述べられている。どちらにせよ、教皇の決定よりも公会議の決定の方が、不可謬権を行使しているものが多いことは間違いないとされている。
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